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木洩れ日業務日記
東京の下町で開業している司法書士です。日常業務で生じる疑問や、仕事に関連しての感想などを書き綴っていきたいと思います。
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相続なら江東区の司法書士 みどりの杜司法書士事務所(会社設立)

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商業登記規則61条4項について考えた2,3のこと
代表取締役がAからBに交代する。
この場合、Bの就任は、「取締役会設置会社」であれば、取締役会で決議します。
では、その取締役会に出席する取締役・監査役は、どんな印鑑を捺印すべきか。
認め印でいいのか、個人実印を押すべきなのか。

会社代表者の選任を証明する書面を作成するわけだから、誤りや偽りがあることは避けなければなりません。
したがって、本来、この選任手続に関わったすべての者が「個人実印」を押印し、なおかつ「個人実印」であることを明らかにするために印鑑証明書も添える。
この手順を実践することが、「代表取締役就任」という厳正な事実を証すためにはもっとも有効・確実であるといえます。

ただ、この原則を貫こうとすると、実際面で不都合な場面も生じます。
たとえば取締役が10名を超えるようなとき、会社側は、否応なく、手続上の負担を強いられるでしょう。
そこで、「会社自治」の理念に基づいて、この原則は、いささか修正されています。

要件はふたつ。

ひとつは、冒頭の例でいえば、Aが何らかの資格で上記取締役会に出席すること。
もうひとつは、A自身が届け出ている「会社実印」を、B選任を証する取締役会議事録に捺印すること。

なぜこの要件を充たすことで、「原則」は修正されるのか。
ポイントは、「法務局に届け出た印鑑」にはそれだけの重みがあるのだ、という前提があることです。
しかも、この「印鑑」は、Aという、すでに実在を確認されたうえで「代表取締役」として登記されている「個人」の存在と一体化しています。
仮にも「代表取締役」として存在し活動してきたA。
そのAが、自分と一体化した「印鑑」を押した書面。
これに信頼が置けないとしたら、商業登記システムにおいて、いったい何を、誰を信じたらいいのか。
そのような不信こそが、世界を闇と混沌に導いてしまうのではないのか。

・・というようなことまで考えられたのかどうかはわからないけど、ともかくこのようにして「原則」は修正されたのでした。

では、どのように「修正」されたのか。
ごく簡単にいえば、要するに「A以外で取締役会に出席した取締役・監査役は、認め印を押せばいい」ということ(商業登記規則61条4項但書)。
もちろん、実印を押してもらい、印鑑証明書も添えてもらうほうが望ましいことは言うまでもありません。
ただ、わざわざ実印までタンスから持ち出してきてもらうには及ばないわけです。

このようにして立法化された修正規定ではあるけれど、現実には利用できないこともあります。
役員の変動の多い会社の場合には、とくにそういうケースが増えます。
このとき、「原則」は「原則」としてよみがえり、取締役会に出席した取締役については、全員、実印を押印してもらう必要があるということになります。
たとえ10人を超える取締役がいる場合であったとしても同様です。
もちろん、各々の印鑑証明書も添えて。

取締役会に出席した以上、取締役のみならず「監査役」であっても同じように実印を押す必要があります。
ここでひとつ頭をもたげる疑問は、この場合の「監査役」の権限についてです。
それはどういうことか。

監査役は、原則として「業務監査権」を有します。
ただ、定款で、その権能を「会計監査」に限定することもできます。
権能を「会計監査」に限定された監査役には、取締役会に出席する「権限」はありません。
取締役会で、取締役の業務執行に「口を出す」ことはいっさい許されていない。
なのに、その「監査役」が取締役会に出席してしまうことがあります。
招待状を持たないで披露宴に出席しようとする客みたいに。        
この場合の「監査役」も、タンスから持ち出した実印を取締役会議事録に捺印してもらう必要があるのでしょうか。
そこに印鑑証明書を添える必要もあるのでしょうか。

「監査役」とはいえ、出席する権限がないのであれば、その存在は限りなく透明に近いようにも思えます。
透明な存在がよしんば「署名・捺印」したとしても、それは取締役会議事録においては、いわゆる「余事記載」として「無視」しても差し支えないのでは。
・・・という考え方も、じゅうぶん成り立つものだとは思います。

でも、実務上では、監査役をその「権限の範囲」で差をつけることをしません。
「会計監査」の権能しか持たない監査役であっても、いったん取締役会に出席し、署名をした以上は、実印を押してもらうことが必要です。
少なくとも、東京法務局管内では、こういう扱いで統一されているのではと思います。

ただ、なんだかすこし融通の利かない運用のような気もします。
そこまでかたくなに解釈する実益があるのだろうか。

ひとつ、考えられる実益があります。
冒頭の例で、従前の代表取締役Aが代表取締役を辞し、あらたに「会計監査」の権能に限定された監査役に選任された場合です。
Aが「監査役」として新代表取締役を選任する取締役会に出席し、その取締役会議事録に「実印」を押して署名する。
これにより、他に取締役が何人いたとしても、わざわざ自宅のタンスから実印を持ち出してくるまでもなく、決議の「真実性」は担保されることになります(登記研究370号)。
稀な事例であるかもしれません。
それでもやはり「実益」は「実益」です。

業務監査の権能を有する、原則的な意味での監査役と、会計監査についての権能しか有しない「監査役」。
登記簿上の記載を見るだけでは、どちらの監査役であるかを識別することはできません。
同じ用語なのに異なる意味を含ませる、あるいは異なる意味に「解釈」しなければならない。
なにかと話をややこしくなってしまうのは、こういうところにも理由があるような気がします。


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「雨ニモ負ケズ」、司法書士であるということ
独立開業して以来、「病気で倒れた」ということはまだありません。
風邪をひいても熱が出ても、足を捻挫しても深爪をしても、ともかく仕事に穴は開けませんでした。
「無事これ名馬」こそ目指すべき理想です。

それにつけても思い出される詩があります。

 雨ニモマケズ
 風ニモマケズ
 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
 丈夫ナカラダヲモチ


宮澤賢治の「雨ニモ負ケズ」、ですね。
この国民的に愛されている詩は、司法書士というお仕事を続けるうえで、いろんなことを考えさせられます。

 慾ハナク
 決シテ瞋(いか)ラズ
 イツモシヅカニワラッテヰル


そうありたいとは思っても、すべての慾を遠ざけて身軽になる境地にはなかなか至れそうもありません。
ときどきしずかに怒ってしまうこともあります。

 一日ニ玄米四合ト
 味噌ト少シノ野菜ヲタベ


朝にはヨーグルト、昼にはかならずサラダを食べる。
そのことを日課にはしています。

 アラユルコトヲ
 ジブンヲカンジョウニ入レズニ
 ヨクミキキシワカリ
 ソシテワスレズ


よく見聞きしたうえで理解する。
理解したことはけっして忘れない。
これは仕事にとって基本となることなので、常日頃、実践に努めているところです。
ただ、そのとき「自分を勘定に入れて」いるのかいないのかは、微妙なところですね。

 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ


駅から近くの鉄筋のビルの、
マンションの一室を事務所としています。

 東ニ病気ノコドモアレバ
 行ッテ看病シテヤリ
 西ニツカレタ母アレバ
 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ


成年後見の仕事をしているかぎり、この詩句の底に流れる心構えは、否応なく必要とされます。
この詩句によって試され続けているようにも思えます。

 南ニ死ニサウナ人アレバ
 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ


ただ、具体的な事例の中で、ここまで踏み込むのは、かなりむずかしいことでもあります。

 北ニケンカヤソショウガアレバ
 ツマラナイカラヤメロトイヒ


近隣トラブルや親族間の争いについて、「本当に腰を据えて争うだけの値打ちがありますか」と念押ししてお尋ねすることはあります。
もちろん、「つまらないからやめたほうが」とまで申し上げたりはしません。

 ヒデリノトキハナミダヲナガシ
 サムサノナツハオロオロアルキ


一年を通せば、必ずこのような時期があります。
そんなときは、事務所の中で雨乞いに明け暮れます。

近年、遺された賢治の手帳の原文から、この「ヒデリ」は「ヒドリ」ではないかとも言われます。
日雇い仕事の「日取り」を意味するという「ヒドリ」。
「司法書士の仕事」という面からみれば、どちらの意味に解釈しても違いはありません。
その日その日の仕事を、地道に大切に積み重ねていくだけです。

 ミンナニデクノボートヨバレ
 ホメラレモセズ
 クニモサレズ


さすがに「でくのぼう」とまで悪し様に言われたことはありません。
これからも言われないようにしないといけませんね。
ただ、家に帰れば、「何の役にも立たない」という非難を浴びたりはしています。

 サウイフモノニ
 ワタシハナリタイ


そういうものに、わたしはなりたいのか。
どうにかすこしでも近づけるようになりたいか。
ほんとうにそう思っているのか。

簡単に答を出せるようなことではなさそうです。
仕事を続ける中で、考え続けていかないといけないことなんでしょうね。



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民法はおもしろい
誰にでもできるだけわかりやすく説明をする。
そのためには、まず自分が十分に納得してわかっていることが必要です。
そのうえで、どう説明すれば伝わるのかを工夫する。
実際にはどちらもとても「難しい」と思うことしきりです。

ということで、「十分にわかっている」人が「わかりやすさ」を前面に出して書いた本を読んでみました。
『民法はおもしろい』 (講談社現代新書)という新書です。
著者は、慶應義塾大学法学部の、池田真朗教授。

たしかに、読みやすく書かれている本です。
とくに「中小企業の目線でとらえる民法」という切り口で語られる中盤以降、がぜん、おもしろくなります。
「債権譲渡担保」や「ABL」(動産・債権担保融資)の基本的な成り立ちなどについての説明がわかりやすく、いちいち腑に落ちていく感じがあって楽しめました。
顧客から仕組みを尋ねられても、いまならなめらかに説明ができそうです。
せっかくの記憶が遠のいてしまわないうちに、誰か尋ねてくれる人はいないだろうかと思うぐらいです。

本の後半では、民法改正論議について、著者の見解が語られます。
そこでは、「日本がアジアをリードする民法典を作って、それをアジア各国に輸出する、という国際戦略のために民法(債権法)を改正すべきだ、という意見」に、はっきり「疑問がある」と書かれています。

これは、 『民法改正』 (ちくま新書)の中で、著者の内田貴・東京大学法学部教授が「日本民法の国際競争力を高めることが、国際展開しようとする企業、とりわけこれから国際展開をめざそうとする中小企業にとって有するであろうメリット」を強調している見解と、真っ向から対立しています。

これに対して、池田教授はきっぱり断言します。

民法ルールの輸出を国際戦略にして、日本のプレゼンスを高める、という発想それ自体にかなり問題があるということを指摘しておきたい。(『民法はおもしろい』:227頁)

「発想それ自体に問題がある」とまで、言い切っています。
この対立は、どのような価値観の相違がもたらすものなのか、そして「じぶん」はどちらの見解を「よし」とするのか。
立ち止まって考えながら読み比べてみると、また別の興味がわいてきます。
なるほど「民法もおもしろい」という気がしてきます。



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「空白」には何がある?
「空(くう)」というのは、普通は「何もない」状態のことと考えられています。
一方、空間には必ず何らかの物質が充満している、「自然は真空を嫌う」と考えて、真空の存在を認めなかったアリストテレスみたいな人もいます。
「真空」には、ほんとうに「何も」ないのか、それとも「宇宙のすべて」がそこにあるのか。
とりあえず日常生活ではどちらでもいいようなこと。
そう思っていたけれど、そうとばかり言っていられない場合があります。

どういうことかというと・・・
会社を新規に設立する際に、その商号に「空白」を置くことは認められていません。
たとえば、いま、このブログのタイトル(木洩れ日)を英語にして(sunlight through the tree)、「株式会社サンライト スルー ツリー」という商号の会社は設立できるか。
答えは「ノー」です。
「サンライトスルーツリー」と、「空白」を除くか、あるいは「サンライト・スルー・ツリー」と「・」(中点)を挿入しなければ、会社の商号として登記することができません。
このことから、法務局の現在の登記システムは、「空白」とは何もないこと、という思想に基づいて設計されていることがわかります。

ところが、面白いことに、例外がひとつ。
会社標記をアルファベットにした場合には、「空白」(スペース)が認められる、ということです。
したがって、「株式会社Sunlight Through Tree」であれば会社設立できることになります。
「空白」には本来、何もない。ただ、前後がアルファベットの場合には、何もないはずのスペースに「何ものか」が発生する。
・・・という考え方なのでしょうか。
何かが消えたり、いきなり現れたり、なんだかマジシャン愛用のシルクハットみたいです。

実際問題として、すこしばかり困惑するようなケースも生じます。
不動産登記で、名義人が外国に居住されている場合です。
たとえば在留証明書に「○○国○○県○○市アララ ラ ララ通り○○番」というような記載がされているとき。
この「空白」は、やっぱり「何もない」空白とみなされます。
したがって、登記がなされると、「アラララララ通り○○番」という記載がされてしまう。
いったいどんな人たちがどんな表情、どんな身振りで行き交う通りなんだ、と思ってしまいますよね。

前後をアルファベットで包囲された途端に存在が公認される。
いま「空白」は、そんな日陰者みたいな立場に甘んじています。
いつか日の光の下で堂々と自己の存在を、権利を、主張したい。
そんな鬱憤で、「空白」は自分の「空白」を埋め尽くしているかもしれません。



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